
●ゲームは社会の役に立たないか?
ゲームはこれまで、
「ただの暇つぶし」
「なんの役にも立たない」
「現実にフィードバックがない」
などと言われてきました。
ゲームばかりする子供に対してその親が良く言う言葉ですね。
これは要するに、社会的に見るとゲームは単なる娯楽であり、慰みであり、
実社会に生きる上でなにも役に立たない、そういうことです。
これは、私はあながち否定したものではないと思っています。
確かに、ゲームは娯楽であり、社会に見れば、「役に立たないもの」と
認識されても仕方がないと思います。
実社会をよりよく変えるために生きているような、タイトに生きる人たち
からみれば、ゲームとは一般大衆の余興でしかありません。
もちろん、では社会の役に立たなければ、排除の方向に行くのか?
というとそうではないし、娯楽とは人間が人生を「楽しむ」上で必要な
ものです。
ゲームはコミュニケーションを潤滑にするためのものでもあります。
そして、「遊び」とは、赤ちゃんのライオンがじゃれあうように、
動物が本来的に持っている性質です。
もともとの性質を否定するわけにもいかないでしょう。
それからこれは開発する側としての意見ですが、ゲームとは「表現」の
1つです。伝達手段の1つなのです。
自分を表現したい、認められたいという欲求は、マズローの五段階欲求説を
持ち出すまでもなく、人間の最高次の欲求です。
ただ、「ゲームばかり」して過ごすのは、やはり問題があると私は
思います。「ネットゲーム廃人」が問題視されていますが、
生産性のない自己満足に中毒になることは社会的問題であり、
その個人の可能性を奪うことにも繋がると、私は思います。
そこで私は、ゲームが社会的に役に立つものになればいいのでは?
と思います。
ではどうしたら、ゲームは社会的に役に立つものになるのでしょうか?
●ゲームはゲーム内世界だけに留まらず、他の実用性を持つ
たとえば、今ひそやかに注目されている「シリアスゲーム」という
ものがあります。これは、ゲームの「ハマる」「夢中になる」特性を、
教育分野で活かせないか、という取り組みです。
例えば歴史もののゲームは昔から出ていますが、こういったゲームを
プレイすることで、歴史上の人物を覚えたり、歴史の流れを把握したり
することに繋がります。
もちろん、単にゲームと教育を結びつけただけでは無味乾燥なものに
なりがちなので、ゲームの「人をハマらせる」という部分と、教育の
面白いところを組み合わせていくことが必要ですが、こういった分野の
研究はゲームの地位を向上させることに繋がっています。
また、最近では似たような分野で、「脳トレーニング」と称して
脳を活性化させると謳ったゲームが出ていますね。
これも、ゲームが実社会で役に立つと認知されるいいきっかけに
なっていると思います。
●映画の特性
映画は、ゲームとくらべて芸術性が高く、人生によい影響を
及ぼすものがあると認知されてます。それはなぜでしょうか?
それは、映画が人間の情緒的な部分を表現し、それに共感する
観客が、その影響を実生活に持ち帰ることができるからです。
人の精神によい影響を与えるものであれば、それは社会的に
認められるわけです。
では、ゲームで人間の情緒的な部分を表現はできないもので
しょうか? もちろん、私はできると考えています。
ゲームは自分で選択肢を選び、それを「体験する」ものだと
言えますが、では、自分の選択が、自分の(プレイヤーの)
精神にどういう影響を与えるのか? そういうことをシステム的に
表現することは充分に可能だからです。
現状、人間の情緒に触れるものとしては、物語を綴るゲームが
その可能性を持っていますが、どちらかというとフィクションで
あり、ファンタジーであり、子供向けのものばかりです。
人間の情緒に訴える映画は、どちらかというと社会派の物語や
事実を題材にしています。ですから、これから社会派の「大人な」ゲームが
出てきたら、ゲームは社会に人間的な影響を与えることができるのでは?
と、私は考えます。
●ゲームの体験プラットフォーム化
ゲームは自分で「体験」するメディアです。
そしてゲームは自分で「選択」するメディアです。
人々は、「体験を共有」して、グループを作ります。
同じ体験をした人は、すごく親しみを感じやすい。
自分が人生で体験したことを共有すると、人は仲良くなりやすい。
こういう状態を「ラポール」(掛け橋の意)ができたと言います。
ということは?
ゲームは「体験」を共有するプラット-フォームになれる、
ということです。ゲームをして、その体験を共有すると、ラポールが
築かれ、コミュニティを形成することができます。
ゲームをプレイするだけでなく、その経験を共有できる場所ができれば、
ゲームはより人々のコミュニケーションを促すことができます。
また、実社会に役立つ「体験」ができるゲームが出てくれば、それは
一般にも認められますし、シリアスゲームにしても、大勢で同様の
面白い教育的経験を共有できれば、学習効果も上がるというもの。
ゲームがこれから徐々に実社会の「必要要素」として溶け込んで
いくとすれば、そういったゲーム観が形成されていくのでは? と
私は思います。

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