
最後に、ゲームが持つ世界観の特殊性を説明したいと思います。
なぜ、こうまでもゲームの世界は、プレイヤーの心に危険なまで
残るのか!?
と、ゲームの世界観の特殊性をシェアする前に、まずその根底にある
「物語」の魅力をシェアしますね。
●物語はそこらじゅうにある
物語というものは、いたるところで使われます。
ゲームや小説、映画などのエンタテインメントだけではありません。
どんなビジネスでも、その商品がいかにユーザーのメリットになるか、
いかに生活を豊かにするのかを、顧客が体験したストーリーを語ることで
表現することがあります。
そしてそれに共感したお客さんが商品を購入します。
単なるスペックだけでは人は商品をあまり欲しいと思いません。
その商品を買うことで、どんなストーリーが自分の人生に展開されるのか?
それを想像して買うのです。
ニュースも同じです。
ニュースは単発の出来事を報道するだけではありませんよね。
連日、ある出来事から連鎖的に起こった出来事を、追加報道していきます。
またはその出来事が顛末(てんまつ)を迎えるまで、追跡報道します。
いわゆる「最近の話題」というやつです。
人はそこに「いったいどうなってしまうのか?」と思います。
出来事という「点」をつなげて「線」にすると、それは物語の形を
成して行く。
そうなんです。
ニュースで報道しているのも、いわゆる「ストーリー」なわけです。
物語はこのように、私たちのまわりに当たり前のように存在しています。
そして人々は、自分を惹き付けてやまない物語を求めています。
しかしそこには、ある種の「じれったさ」「物足りなさ」があるのです。
●ゲームの物語
ゲームの本質とは、インタラクティヴィティ、つまり双方向性にあります。
これは映画や小説などの単方向のメディアと明らかに違う性質です。
双方向性とは、わかりやすく言うと「キャッチボール」です。
プレイヤーがコントローラーで入力すると、画面の中から反応が返ってくる。
それに対してプレイヤーが反応し、入力を返す。
ゲームが持つ世界観の特殊性は、このインタラクティヴィティの中に
あります。
つまり、結論を先に言うと、
「プレイヤー自身が物語を生む対象であること」
これが、ゲームが持つ世界観の特殊性です。
本来、ゲームというものは、プレイヤーが「判断」を積み重ねて出来上がった
「プレイング」が、物語となります。
ゲームの中にはプレイのトレースデータを残せるものがありますが、
このデータこそが、ゲームで出来上がった「物語」です。
プレイヤー自身が物語を紡いでいく。
これはプレイヤーの「体験」そのものです。
これが、危険なまでに魅力的なのです。
●ゲーム世界の中毒性
プレイヤー自身がゲームの中の物語を紡いでいく。
これを、ちょっと哲学的に考えましょう。
人生は時間で出来ている。
その時間は有限である。
人は時間を「体験」に変えながら過ごしている。
その体験を、ゲームをプレイして、ゲームの中の世界での「体験」に置き換える。
まだまだゲームでの「体験」は未熟なもので、現実世界で味わえるほどの
強い刺激を実現することはできませんが、それでも、ゲームは人を熱中させる
ことができます。
それは、ゲーム中で得られる「体験」が、「自分のもの」だからです。
「自分が」達成する。
「自分が」勝利する。
この主観的な刺激は、客観的な刺激と違い、非常に強い!!
マズローの5段階欲求説では、人の欲求のの最上位に「自己実現」が
あります。
(下位の欲求には生存、安全、親和、自己認知がある)
ナラティヴの物語が主人公に「憧れる」「興味を抱く」のに対し、
インタラクティヴの物語は自分という主人公に「自己実現」させます。
プレイヤー自身が「人生という物語」の主人公であること。
勝利や達成は(ゲームの中のシミュレーションであれ)、
誰もが求める自己実現の欲求を満たすものなのです。
だから強い中毒性を帯びるんですね。
●「ゲームの物語」は一般の物語の形をなしてなくともよい
「ゲームの物語」は「自分」の達成や勝利などの自己実現が
「体験」できればいいので、登場人物だとか、世界設定などは実は
必ずしも必要ありません。
自分が主人公であることが、最低限の条件です。
ゲームの「物語」だからと、主人公や世界観を設定する必要は
ないのです。
これはテトリスなどを見ると明らかです。
テトリスには「達成」という「体験」はありますが、
世界観は背景の絵だけですね。
ほかにいい言葉がないので、便宜上、物語としていますが、実際は
「物語と体験」の織り交ざったもの、それがゲームで味えるものなのです。
(物語と体験の双方の比率が、どちらと呼ぶかを左右します)
さて今回はだいぶ抽象的になってしまいました(笑)。

コメントする